民食を学術的な視点からみてみよう!

民食を科学の視点からみてみよう!

こんにちは!KitchHikeマガジン編集部のまゆこです。

今回は、国内外に広まりつつある「民食」を少し学術的な視点で見ていこうと思います。

食の新しい選択肢である「民食」

現在、私たちの食事の形は以下の[外食・内食・中食]の3つだとされています。

1.お店で食べる(外食)

2.家で作ってたべる(内食)

3.購入したものを家で食べる(中食)

そして、そんな中、「民食」は「誰かの手料理を食べに行く」という「第4」の選択肢を私たちに提示してくれます。

関連情報:民食(みんしょく)

誰かが作る料理を食べに行くということは、自分以外の誰かが自分のために料理を作って待っていてくれるということ。
つまり、手料理を食べに行くことは、必然的に「他者と一緒に食卓を囲む」ことにもなります。

考えてみると、上にあげた3つの「食」のどれにおいても「一人で食べる」ことは成り立ちます。飲食店で一人で食べる、家で一人で作って食べる、店で買ってきたものを一人で食べる……。しかし、「民食」は一人では成立しません。

一人で食べるごはんもいいけれど、人と一緒に食べるごはんもまた違った良さがある。
みんなで食べるという行為には、私たちが思っているよりもずっと大きなパワーが潜んでいると、KitchHikeは考えています。
そして、KitchHikeを通して集まった人たちで賑わうごはん会を見るほどに、その思いはどんどん確かなものになってきました。

 

科学的に見た民食

そのように私たちが感じるのは、単に、サービスを運営している側の見解だからかもしれません。
しかし実は、民食は科学的な視点からも注目されてきているんです。
それは、世の中に公表される学術論文の数によって示されています。

誰かと食事を共にする「共食(eat together)」や、一人で食事をする「孤食(eat alone)」。これらのキーワードをテーマとした学術論文は、1970年代頃から現れ始め、80年代からその数は増加の一途を辿っています。

特にここ10年間に発表されたものの数はその前の10年の倍以上。

論文検索サイト「PubMed」より『(eat together) OR (eat alone)』という検索式でヒットした論文数の遷移

昔から調査されてきた他の分野の研究からすればその数は僅かなものではありますが、このように「食事をする際、自分以外の誰かの存在があるかどうか」というテーマについて扱う論文が増えてきていることは事実です。
では、そのような動きが起こっている理由は何なのでしょうか。

東南アジアに位置するタイにおいて「共食」と「幸福感」の関係を調査した研究の論文*では、
”他者との繋がりを作る・その繋がりをより強くするために自分以外の誰かと食事を共にしようとするのは、多くの文化において共通の概念である。”
と述べられた上で、研究の背景としてこう書かれています。

“As populations age more elderly people are living alone while increasing work demands and social mobility pressures mean that younger people are delaying families and are often located in cities and countries far removed from their families.”

社会の高齢化が進み多くの高齢者が一人で暮らすようになる一方、働き手の需要や社会の流動性が増したことによって、若い世代の晩婚化・家庭を持つ年齢の高齢化や故郷から離れた都市部への住居の移転を余儀無くされている。

“These demographic and lifestyle changes contribute to people having fewer opportunities to dine with others.”

このような人口の変化・生活様式の変化によって、人々が他の人と食事を共にする機会はより少なくなってきている。

”Worldwide depression and poor mental health are on the rise so the possible contribution of eating alone is important to investigate in a variety of cultures.”

世界的に鬱や心の健康に関する問題は増え続けており、孤食によってもたらされ得るそれらの問題への影響は調査すべき重要事項である。

人口の変化や私たちの生活様式の変化によって「一人で食事をする」ケースが多くなり、人との繋がりを作る場である共食の機会が少なくなっていることが一つの問題となっていることがわかります。

また、別の研究の報告**ではこう書かれています。

“the contemporary food market (a large choice of convenient food offer by catering industry) allows and facilitates the possibility of people eating when – , where – and whatever they want.”

便利かつ多様な現代のフードサービスは、人々が「いつでも」「どこでも」「欲しいものであれば何ででも」食べられることを可能にしている。

生活様式の変化はより多様な食事のニーズをも生み出し、技術の発展がそれに応える形で個々人に合わせた食事サービスを提供できるようになった現代。今となってはそのようなサービスのない生活は考えられません。しかしそれによって生まれる社会的課題も生まれているのは事実です。

世の中に発表される学術論文・資料の数というのは、その時代の科学が何に着目しているかを見極める一つの指標となるもの。

まだその数は微々たるものであるかもしれませんが、食の持つ社会的な力、つまり食によってもたらされる人と人とのつながりや、それが少なくなることに対する課題というものは密かに、しかし着実に人々の関心を集め始めています。

「民食」は新しい概念なのか?

「民食」の価値が、私達の生活様式の変化によって再認識され、注目を集めているのはわかりました。

となると、その変化が起きる前の時代においては、特段意識される必要もなく当然のものとして民食が私たちの生活の中に溶け込んでいたとも考えられます。

なわばりに入ってきた部外者と友好を深めるためには、一緒に食事をするのが一番だ。地球上の全ての民族が根源的にこの慣習を持っている

KitchHikeの理念を語るとき、私たちKitchHikeチームが頻繁に引用する文化人類学の一説です。

「みんなでごはんを食べる」。それはご紹介した論文でも述べられたように人類がお互いを理解し繋がりを作るために行ってきた行為であり、古来受け継がれてきた文化でもあります。長い目で我々の歴史を振り返ってみると、むしろその慣習が薄れてしまったのは急激な技術の発展がなされてきたここ数十年の間だけと考えることもできます。

冒頭で「民食は新しい食のカタチ」であると書きました。

しかしそれは私たちの中に古くから根付いている文化であって、今を生きる私たちはそれを新しい概念とみなすほどその文化から遠いところに来てしまっただけのようです。

ただ、その距離は容易には縮めることができず、多くの人がそれを新たな仕組みとして求めているのかもしれません。

KitchHikeは、そんな新しくもあり昔から受け継がれてきたものでもある「民食」と向き合い、”みんなでごはんを食べる”「みん食」シーンを作り上げていきます。

<参考資料>
[PubMed] https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/

*Yiengprugsawan, V.  Banwell, C. Takeda, W. et al (2015). Health, Happiness and Eating Together: What Can a Large Thai Cohort Study Tell Us? Grobal Journal of Health Science, 7(4), 270-7.

**Danesi, Giada. (2012). Pleasures and stress of eating alone and eating together among French and German young adults. The Journal of Eating and Hospitality, 1, 77-91.

[Eat Together Day] 【世界の民食】建国150周年に、カナダ全土が「みんなでご飯」!

誰のごはんを食べに行く?