こんにちは。KitchHike共同創業者の雅也です。
世界の食卓を巡る旅も、ついに南米に辿り着いてしまいました!
蚊に刺されすぎて、気が気じゃない!
気を紛らわすために、たまには自分のことでも書こうかなと思います。
新年度も迎えたので、振り返るにはちょうどいいタイミングです。
KitchHikeをきっかけに新しい人に会う機会が増えて、本当に刺激的な日々を送ってます。
旅先で知り合う人からも、どうやってKitchHikeを思い付いたのですか?と尋ねられることが増えてきました。
KitchHikeを始める理由は、以前LifeHackerさんに取材していただいたので、よろしければこちらから。
平たく言うと、世界を平和にするためです。
ガチで言いますが、ガチです。KitchHikeは世界をつなぐ具体的な方法論です。
結果論に過ぎないけれど、何らかの影響を与えたと思われる4つの出来事を振り返ってみました。
もちろんKitchHikeは、僕だけで辿り着いたものではありません。
他の創業メンバーとの、数えきれない会話の中から紡ぎだされたものであることは、先に言っておきます。
①内田樹氏のブログを読んで。
大学生の時に内田樹氏の本に出会い、それ以来新刊が出る度にいそいそと買っては読んでいます。
心の師です。勝手に仰いでます。
言葉に落ちてこないもやもやと頭の中を巡る事象を、きれいに仕分けして整理してくれます。
この感覚が心地よくて面白くて、「確かに!」を連呼してしまいます。
同じ感覚を持ってる人も多いはず。
おすすめはこちら。「疲れすぎて眠れぬ夜のために」。内田先生っぽく、知らない人にも読みやすい一冊。
確か初めて僕が読んだのもこれ。疲れすぎて眠れない日々を過ごしていたのかも。
そんな内田先生のブログを読み返していたら、こんなエントリーがありました。
そして、確かに大学生の当時読んだ記憶がありました。すっかり忘れてました。
同じ食べ物を同時に食べる人々は一種の「群舞」を舞っているのである。
恋人同士が差し向かいで食べているとき、それはpas de deux を踊っているのに似ている。
「同時に食べ始め、同時に食べ終わる」ことがデートの際の食卓儀礼として重視されるのは、そのせいである。
動作が一致すると、ふたりの呼吸が合う。アラインメントが合う、コヒーレンスが整う。
それは細胞レベルで「同体化した」ということである。
-ブログエントリー「個食のしあわせ」より、引用。
アラインメントって?コヒーレンスって一体何?思わず、ググってしまう単語が多いけど。
それでも、「ほほう、一緒に食卓を囲む、一緒にごはんを食べるという行為は、人間関係を築く上で、どうやら普通じゃない方法なんだな。仲良くなりたい人とは、とりあえずご飯を食べに行くべし!」と、頭の片隅に刻み込まれたようでした。
前職働いていた博報堂に、内田先生が講演に来た時があって、喜び勇んで聞きに行きましたが、業務過多によりあまりに疲弊していたので、トーク中に「疲れすぎて眠って」しまったのを覚えています。
是非一度ちゃんとお話してみたい、いや、むしろ御礼を申し上げたいものです。
②バーニングマンに行ってみて。
大学時代に知り合ったアメリカ帰りの先輩に教えてもらったバーニングマン(Burning Man)。
毎年8月の最終週から8日間、アメリカはネバタ州のブラックロック砂漠で開催されます。
何もない砂漠に、世界中から未来志向でごきげんな人達が5万人くらい集まって、コミュニティを創り上げるアートフェスです。
2009年の夏、興味が高じて、一念発起乗り込んでみました。
今でも、バーニングマンを巡る旅は、僕の人生のハイライト。
*日本におけるバーニングマンの第一人者まがりさんのウェブサイトはこちらです。
基本的なルールは、この3つ。
・No Spectator(「傍観者になるな」の意。アートフェスなので全員がパフォーマーです。)
・お金、使えません(いわゆるフェスの平和な屋台とかないです。贈与で共同体が成り立ちます。)
・持ってきたものは持って帰る(ゴミ捨てられません。足跡を残すことは許されません。)
一言で言うと、「お前には常識ってもんがないのか!!」と思わず言いたくなるフェスティバル。
2階建てのオープントップバスを改装した移動式クラブが、ネオンとレーザービームを光り散らしながら夜の砂漠を爆走。
装甲車のように改造されたジープの上に乗せられた火炎放射器が巨大な火を噴く。
メッセージ性があるんだかないんだか分からない、主観で造られたであろう超バカでかいオブジェたちが、砂漠の至る所に設置されていて。
みたいな、常識に囚われなさすぎるイベントです。でも、ちゃんと品とセンスはあるのでご安心を。
品とセンスとクリエイティブで、コミュニティの質も高く保たれています。
僕はこのアートフェスに滞在する間に、お金を介在させない贈与経済(give&give)でコミュニティが成り立つのか?という壮大な実験を、垣間見た気がしました。
物々交換を通り越して、ただただ与え合う文化でコミュニティが正常に、むしろ円滑にまわっているのを目の当たりにして、衝撃を受けたものです。
消費社会(give&take)の構造が、大学や国家の在り方にまで及んでしまっている今の日本では、なかなかピンと来ませんよね。
コストに対するパフォーマンスが完全にそしてリアルタイムで一致しなければ、アクションを取れない思考が蔓延している世界観とは、まさに真逆と言えます。
食べ物も、お酒も、創作物も、とにかくあげちゃう。あげるのはものだけじゃなくて、何か手伝ってあげたり、教えてあげたりも。
いや、むしろ、モノでもコトでも、あげる側(表現する側)の方がテンションが高くて楽しそうだったのが印象に残りました。
与えることで満たされることを知っている人たちの集まりと言ってもいいかもしれません。
そう考えると、KitchHikeもお金を介在させない方向性もあったと思います。
確かにバーニングマンのコミュニティを体験してしまうと、贈与経済で社会の大枠が成り立つんじゃないか?と考えたくもなります。
ただ実際には、イベントに参加している人たちはかなりリッチな人たち。
まず入場料が約300$。クルマもほぼ必須だし、滞在中のすべての準備を考えると相当なお金がかかります。
実際、僕が出会った人も、医者や弁護士、地層学者、カメラマン、政府系のコンサルタントなどなど、ハイスペックな人たちばかりでした。
ただ、善意や贈与で成り立つ社会も信じたい。満たされなくても、善意や贈与が発動している人たちがいることも知ってます。
でも、多くの人にとって、善意や贈与は、“ある程度”は満たされないと発動しないと思うんです。
だから、今の時代に世界中のしかも裾野の人たちまで、KitchHikeを使ってもらえるようにしようとしたら、やっぱり経済原理に則って仕組み化した方が、広く深く根付くと思うのです。
自分の中でも、明確な結論はまだ出ていません。キッチハイクメンバーでお酒を飲むと、このへんの話はいつも盛り上がります。
興味ある人は、是非一緒にしゃべりましょう。気軽に連絡ください。笑
これから世界がどうなっていくのか、時代の要請にもよるけど、キッチハイクが時代を導く光になれればいいなと、実は思っていたりします。
③副業を始めることになって。
社会人3年目のある日、ひょんなことからpopeyeという雑誌でちょこちょこ原稿を書くことになりました。
今思うと夜中に帰宅して、明け方まで原稿を書いて、次の日また会社に行く日々を繰り返していたのは、正直つらかった。
でも、超楽しかったので、なんとなく睡眠は無視していました。
ちょうど同じ時期、Airbnbのホストを始めてみました。当時、友人とシェアハウス暮らしをしていたので、まったく抵抗はなく。
会社に行きつつ、編集部に通って、家に帰るとたまに外人いる、みたいな生活を送ることになりました。
初めて、二社から給与明細が届いて、Airbnbの振込みがあった時は、何とも不思議な気分になったものです。
何も、副業でお金を稼ごう!と言いたいわけではありません。
メインの所属組織とは違うレイヤーを持つと、いくらでも世の中と別の文脈でつながれることを、身を以て知ったのです。
そして自分が持っているリソースは、活用の仕方次第で、プラスαのお金も稼げることが、身を以てわかったのです。
新しくつながる人たちとの時間が増えると、生活はどんどんカオスになっていきました。
この時の出会いがきっかけで、今も、世界の食卓訪問記をBRUTUSで連載させてもらっているわけです。
ただ自分のケースで言うと、ライターはたまたま縁が重なったものだし、Airbnbもシェアハウスをしていたからできただけ。
もっと誰でも健全にはみ出せて、新しい世界とつながって、しかも楽しくお金が稼げる普遍的な方法はないかな?とぼんやり考えていたのかもしれません。
④韓国人の妻と結婚することになって。
結婚してから早二年が過ぎました。まさか自分が国際結婚することになるとは思っても見ず。
中学生の自分に教えてあげたら、ひっくり返るでしょうね。
日本と韓国。歴史を見ると、一言では語れません。常に双方の言い分があります。
特に最近は、外交が経済的な駆け引きや権力者の立場を作るためのカードとして、利用されている面も大きいし。
その結果、国同士が簡単には仲良くしないことがよくわかります。もどかしいですよね。
僕は妻の国のことをもっと理解したいし、妻の家族とももっと深くつながりたいといつも思ってます。
じゃあどうする?
家族間の付き合いに、国の事情は関係ありません。
つまり、国同士が上手くいかないなら、個人が勝手に外交すればいい。
国を成り立たせるものは、市民。国は僕ら自身。
トップダウンでつながれないならば、ボトムアップでつながればいい。
それが僕の気付いたことです。
これは、日本と韓国の間だけで起こっている話ではありません。
多かれ少なかれ、世界中のすべての国の間で、トップダウンのメッセージやメディアによって、あるはずもない壁や偏見が作られてしまっています。
しかし、個人と個人(or家族と家族)のレベルでつながると、その壁が本当はないことに気付けるんです。
目の前の人には、いつもウソがありません。
どうしたら、ボトムアップから世界中の人がもっとわかりあってつながりあえるんだろう?
普遍的で汎用性があって、誰でも実践できる具体的な(しかも楽しく!これが重要。)方法はないかな?と無意識に考えるようになっていたのかもしれません。
気付くきっかけを与えてくれて、しかもおいしいチョングッチャンを作ってくれる妻に感謝しなければいけませんね。
つまり、まとめると。
最近、スタートアップと冠して、イノベーションを起こすビジネスアイデアを見つけよう!なんてイベントやセミナーをよく見かけるようになりました。
それ自体は、別に悪いわけではありませんが、イノベーションの種って、会議室に篭って、市場分析して、ホワイトボードと付箋で思いつくものなの?という疑問があります。
確かに打率の高いビジネスかもしれませんが、それ、本当に“あなた”ですか?と聞きたくなります。
種やアイデアは、日々の生活から滲み出てくるものです。そして、とても個人的な体験や思想、狂気から混沌として生まれてくるものです。
だからスタートアップのプロダクトは、創業者メンバーの人生そのもの。
人生を具現化させたそのもの、写し鏡なんだと思います。
KitchHikeは、「こうゆう世界になったらいいと思う!」という創業メンバーたちの極めて個人的な想いからスタートしています。
世界が求めてる!と思い込んだ強烈なおせっかいが原動力。
ローンチした時にも書きましたが、KitchHikeの構想がぼんやり見えた次の瞬間、「あ、なんだ、これ、自分らでやるパターンか。」と思ってしまったあたり、笑えるくらい思い込みから始まってる。
もちろん今は、市場規模やビジネスモデルでも将来性を語ることはできますが、正直それは後付けです。
僕らは、僕らが思うほど器用ではありません。
自分のように考え、自分のように思い付き、自分のように行動することしか出来ません。
でも、それでいいんだと思います。むしろ、これからの時代はそれがいいんだと思います。
スタートアップが増えていている昨今、方程式が確立されていけばいくほど、逆説的に、狂ったほど属人的な思想から生まれてくるモノが面白く見えます。
生き方に正解がなくなってしまった時代。
僕らは、自分の狂気に遠慮せず、研ぎ澄まし、昇華させることに、躊躇する理由はもうなくなったんだと思います。
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▶Discover the world through kitchens! – https://kitchhike.com/
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