「料理」は仏教を広めるための1つの在り方。青江覚峰氏が語る料理僧になった理由|インタビュー第6弾[前編]

こんにちは、KitchHike編集部のリチャード&ユミです。

KitchHikeが注目している人に「食」を切り口にしてお話を伺うインタビュー企画、第6弾。今回は、アメリカ留学でMBAを取得後、あるきっかけから仏門を叩き、現在は料理僧としてご活躍中の青江覚峰氏にお話を伺いました。

経歴をお聞きしただけで、なんとも徳の高そうなお話が聞ける予感がしてしまう編集部一同です。青江氏の仕事場である東東京の中心、浅草は緑泉寺におじゃましました。今回も手料理を振る舞ってもらいながら、モグモグとしたインタビュースタートです!

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青江覚峰 プロフィール: 1977年東京生まれ。浄土真宗東本願寺派 湯島山緑泉寺住職。米国カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。ブラインドレストラン「暗闇ごはん」代表。超宗派の僧侶によるウェブサイト「彼岸寺」創設メンバー。ユニット「料理僧三人衆」の一人として講演会「ダライ・ラマ法王と若手宗教者100人の対話」などで料理をふるまう。
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東東京のお膝元、浅草に居を構える青江氏の緑泉寺です。

仏教における料理と料理僧になった理由

– KitchHikeマガジン編集部 (以下、太字)

今日はよろしくお願いします。仏教のお坊さんは、食材の制限はありますか?今日いただく料理には、お肉が使われていないように見えます。

– 青江覚峰さん (以下、敬称略)
はい。よく、「ベジタリアン」と言われるのですが、実際はベジタリアンともすこし違っていて、お野菜でもタマネギやニンニクと言ったように刺激のあるものも禁じられていたりします。基本的にお肉やお魚、卵といった動物性のたんぱく質は摂取しないのですが、寄付としていただいた場合は食べることにしています。

仏教には、日本ですと宗派が30弱ほどに分かれていて、それぞれの宗派によって規律が変わってくるので、一概に「仏教徒の人は、こんな食生活をしているよ」って言うことは、なかなかできないのです。仏教はもともとインドが発祥なのですが、日本に来るまでに中国、朝鮮を経てきています。時間と場所の変化と共に仏教のあり方も変化しているので、日本の仏教と海外の仏教も違っていたりします。

仏教にも、多様性があるのですね。どうして料理僧になられようとしたのですか?

– 青江
料理僧というのは、僕が初めてなのですが、仏教をより多くの人に知ってもらいたい、身近に感じてほしいという気持ちでやっています。仏教を一般の方に広めていく手段の1つとして「料理」があるのだと僕は思っています。五感をフルに使って料理をすること、そしていただくこと、これが仏教と料理が繋がるのに大切なことだと思っています。

仏教を広める手段としてメジャーなのは書籍を残したり、言葉にして伝えることですが、僕は両方苦手で。でも、江戸時代にいた僧侶で仏教を俳句で広められた方がいらっしゃったことを知ったんです。彼の存在を知ったとき、ただ、仏教を広めるのに、様々な手段があっていいんだって思いました。

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よく使い込まれた台所。日常使いしやすいようにまとまっていました。青いタイルが精悍なイメージです。
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料理中もインタビューに答えてくれる青江氏。こちらの質問の意図を汲み取ろうとジッと考える様子が印象的。
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車麩を揚げる前。見た目はハムのようですが、ばっちり精進料理です。

なるほど。確かに広める手段は様々な可能性がありそうですね。

– 青江
あとは、一般の人にとって、たとえ日本の仏教には30程度の種類があってもその違いだとかはなかなか簡単には理解できないと思うのです。むしろ、その違いをアピールすることが仏教離れにつながるのではないかと思っていて。

なので、今は料理僧としての活動だけでなく、お寺でのイベント開催の企画、宗派を超えたお坊さん同士のネットワークを構築し、仏教を発信していく活動もしています。

MBA取得のために渡ったアメリカで始めた自炊生活

料理は手段の一つなのですね、料理を始めたきっかけなどはあるのですか?

– 青江
一人暮らしの期間が長かったからですね。どうしても作らざるを得ない状況になることもあるじゃないですか (笑)。アメリカの留学中は後輩と一緒に住んでいたのですが、僕は料理担当で、後輩は掃除担当で役割を決めて生活をしていました。忙しかったのもあったので、毎日毎食分を作るというよりかは、1週間分の食事を作り置きするっていうスタイルでやっていました。

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丁寧にお味噌を溶く青江氏。きのこの種類もたくさん。
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味見をする時の表情もとても真剣です。様になります。

アメリカには、どうして行かれたのですか?

– 青江
僕はお寺の家庭に生まれて、長男だったこともあり、小さい頃から「自分がお寺を継ぐ」という使命感を感じていました。でもまったく乗り気ではなくて (笑)。いわゆる中2病ですね。中学、高校あたりから将来の進路について考え始めました。それで出した結論がアメリカに留学することでした。やっぱり、お寺を継ぐことから逃れるためっていうのが大きな決め手の1つです。

アメリカではカリフォルニア州の州立大学でフレズノというところで、ビジネスの勉強を3年ほどしていました。なぜビジネス専攻にしたかというと、自分はサラリーマンに向いていない性格であることを悟って、やるなら自分でビジネスを始めようと思ったからです。実際に卒業後は、アロマテラピー関連の事業を起してバリバリ働いていました。

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青江氏の著書を編纂する友人の僧侶。
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カラッと揚がった車麩!絶妙の仕上がりに一同感嘆の声を挙げました。

お坊さんになる人がアメリカでビジネスをやっていたなんて、聞いたこと無いです(笑)。

– 青江
お寺を継ぎたくないから就職するという人は、実は意外といたりするんですよ (笑)。でも、だからと言ってアメリカに出て行っちゃう人はほとんどいないでしょうね。

結構、お寺に対して特別意識を持ってしまう人が多いと思うんですけど、跡継ぎの話に関しては農家であれ、八百屋であれ、自営業をされている家庭の人なら、通じる話なのではないでしょうか。


盛り上がってきたところですが、インタビュー前編はここまで!う〜む、仏教を伝播させるために、「料理」という選択肢を選んだ青江氏。それはひとつの発明のように聞こえました。

インタビュー後編では、アメリカでMBAを取得してバリバリとビジネスをしていた青江和尚が、なぜお寺を継ぐことになったのか?仏門を叩くことになったのか?そのきっかけの出来事と苦悩の日々についてお聞きしました。青江氏が遭遇した転機とは一体なんだったのでしょうか?