世界の家庭料理を旅しよう!こんにちは、KitchHikeです。
ご存知KitchHikeは、食卓で人と人をつなぐWebサービス。旅行中に現地の料理を楽しむことはもちろん、日本に住んでいる外国人の家で、本場の味を手軽に味わうこともできちゃいます。
今回は、中東料理を日本で教えている人気COOKのみづきさんをご紹介します!メニューのひとつイスラエル料理ってどんな料理?と想像もつかない人も多いのではないでしょうか。でも、中東の料理ってめちゃめちゃおいしいんです!ひよこ豆やオリーブオイル、野菜をたっぷり使った中東料理は日本人の口にも合うんです♪そんな本場で料理を学んできたというみづきさん。どんな方なんでしょうか?
次回は、5/14 (土) に開催予定♪
▼みづきさんの中東料理▼
大学時代の宗教学がきっかけでイスラエルへ

本日は宜しくお願いいたします!早速ですが、なぜイスラエル料理を学んだんでしょうか?
– みづきさん (以下、敬称略)
大学時代に宗教学が勉強したかったんです。でも、受験勉強を始めたのが遅くて。私の学力で宗教学を学べそうな大学を受けたんですが、嬉しいことに全部合格したんです (笑)。それで、その中から選んで行ったのがキリスト教系の大学でした。そこはキリスト教の内側から勉強するような大学だったのですが、学んでいくうちに私には信仰は理解できないなと思ったんです。それで行き着いた結論は人間イエスはどんな人だったんだろうと。イエスはユダヤ人なのですが、ということはユダヤ教がわからなければキリスト教もわからないし、彼が死んだ後のことばっかりではなくて生き方を見たほうがいいんじゃないかなと思ったんです。でもそう言いながら私イスラエルに行ったことがないなと思って、大学を卒業してちょっと働いてからお金を貯めて、イスラエルに行きました。

なるほど!それで、イスラエルだったんですね。実際にイスラエルではどうだったんでしょうか。
– みづき
キリスト教とユダヤ教は全然違うと思いましたね。ひとくくりにすることはもちろんできませんが、日本のキリスト教徒の人はユダヤ教のことをあまり知らないのかなと感じました。信仰の方ばかり先行して、何かがねじれているなと。あとは、それとは反するんですが、宗教の根っこと発展していったところは違っていいんじゃないのかなと私は感じたんです。根っこだからといって真実とは限らないですから。

どのくらいイスラエルにはいたんですか?
– みづき
1年半です。最初はイスラエルの郊外にある町にある語学学校に行きました。そこには、その町に住んでいる移民の人が通うようなところで、ロシア系とフランス系の移民が多かったです。ロシア系のおばあちゃんとかもいらっしゃって、みんな英語も話せなかったので、ヘブライ語をヘブライ語で教えられたんです。当時私は、その語学学校の寮に住んでいたのですが、言葉は話せないのはもちろん、日本人はいませんでしたし、そもそもアジア人がいなかったんです。それに、郊外の町だし、どうしようかな……大変だ、これはと (笑)。でもこの大変さはヘブライ語を話せるようになれば解決するなと思ったので、3ヶ月くらい死ぬ気で勉強しました。
共通言語が英語ではなくヘブライ語とは、なかなか大変な環境でしたね。
– みづき
当時はただただ辛かったですね (笑)。朝、昼、晩の食事は寮の方で出してくれて、それが給食みたいなものだったんですが、とても……まずくって (笑)。唯一の楽しみである食事もそんな感じでしたから、早く脱出したかったですね (笑)。それでやっと3ヶ月が終わり、その後は都市部のハイファ (Haifa) という町の大学へ進み、留学生コースに入ってヘブライ語の勉強と英語でイスラエルの歴史や文化などを勉強しました。同年代の子もいるし、ヘブライ語も話せるようになっているし、友達もできてようやく楽しくなってきたんです。

3ヶ月でヘブライ語を習得され、大学進学とは!すごいですね。肝心の食事の方は……どのようなもんだったんですか?
– みづき
ハイファではイスラエル人のおばちゃんの家にホームステイをさせてもらっていて、そこでは嬉しいことにキッチンを自由に使わせてくれたので自炊もできましたし、やっと心の平安が取り戻せたという気がしました (笑)。

よかったですね!!やはり食事をちゃんとできないと精神的にもまいってしまいますよね。
– みづき
いや〜、よかったです、本当に (笑)。ハイファという町は神戸や横浜のような港町で、全体の雰囲気はちょっとのほほんとしているんですよ。だからもうちょっと都会のエルサレムに住んでみたいな〜ってその時は思っていたんです。それにイスラエルで一番と言われているヘブライ大学にも行ってみたくて、1学期でハイファを去って、ヘブライ大学に移りました。
決断が早いですね (笑)!
– みづき
はい (笑)。とにかく、何もないのはちょっと刺激にかけてしまいますから (笑)。ヘブライ大学時代は、住まいは学生寮。自炊をして、6人で1つの共用スペースで生活してました。
そうやって念願のヘブライ大学で勉強するところまでいったのですが、なんだか今思えば遊んで帰って来ちゃった感じもするんですよね。宗教のことが知りたくて、敬虔な人の家に遊びに行かせてもらったり宗教行事に参加させてもらったりしていたりもしたんですが、私、食いしん坊なので、実はほとんどあちらで料理ばっかりしていたんですよ。

帰国後、日本で最初にやった仕事は家電のヘブライ語翻訳
そうだったんですね。というと今の料理はそのときがきっかけだったんですか?
– みづき
そうですね、きっかけはイスラエルにいた時だったかもしれませんが、本格的に始めたのは日本に帰国してからです。帰国直後は蓄えも必要だったので仕事をすぐに探し、まずは家電の説明書をヘブライ語に翻訳するバイトをしていました。世の中を知らなかったので、どうしたらいいかわからなくてひとまずやった仕事だったんです。でも、結局これをするためにヘブライ語の勉強をしたわけではないと思い、割とすぐに辞めてしまいました (笑)。
何か違うと思ったんですね。
– みづき
そうなんですよね。ピンときていませんでした。それで、その後就いた仕事はトルコ料理屋さんでした。何やろうかなと考えていたところに、近所にトルコ料理屋さんがオープンしたので、お願いしてみたんです。
家電の翻訳とは全く違う仕事ですね!けれど、何か近づいてきましたね。
近づいてきていますよ (笑)。でも、店長がちょっと風変わりな人で、というか不良で (笑)、トルコ語しか話せないシェフのおじいちゃんを店に置いてしょっちゅう出かけちゃうんです。なので、私はそのおじいちゃんの話を聞いて食材の発注とかをしないといけなくて大変だったんです。けれど、おじいちゃんとコミュニケーションをとらないといけないというその状況のお陰で、ついにはトルコ語が話せるようになっちゃったんです (笑)。でも、これが自分のやりたいことか?と自問自答してみると……このままここで働き続けているのも違うなと思ったんです。
またもや転機ですね!そして、次の出合いは……?
– みづき
そんな時、新聞を読んでいたらフードコーディネーターの記事を見て、飯島奈美さんの話だったんですけれど、面白そう!これやりたい!とピンときて。すぐにネットで調べてフードコーディネーターの肩書きを持っている方へ片っ端から「アシスタントにしてください」と連絡していったんですね。
みづきさんは、とにかくすぐ行動に移す方なんですね。
– みづき
はい (笑)。それでやっとアシスタントにしてもらえる先が見つかり、2年くらいその方の元で仕事をして、その後独立しました。けれど、なかなか生計を立てられるような仕事もなかったんですね。どうしようかと困っていたときに、ちょうど友達から「イスラエルに行っていたんだから、料理会なんかをやってみたら?」とアドバイスをもらい、なんとなく「あ、それいいかも」と思ったんです。イスラエル料理も作れるしトルコ料理も習っていたので、早速やってみようと。それから、仕事として料理をふるまったり教えたりできるように細かいところを詰めて自分なりの形にしていきました。最初に来た人はたった3人。でも、それが回を重ねるごとに6人になり10人になり……、という感じで継続的にやっていたらどんどん人が増えていつの間にか今日に至ります (笑)!そういった流れで料理教室を始めて、さらに撮影用の料理の現場も好きなのでその仕事もやっているというのが現在になります。



いよいよできることとやりたいことが重なったんですね!そんな中でどういった瞬間が楽しいですか?
– みづき
人が嬉しそうにしているのを見ることができたな!と後で思った時です。
料理教室の最中ではなく、後で、ですか?
– みづき
はい。料理中のときは「大丈夫かな?わからないところないかな?」などとみなさんがちゃんと満足してもらえているかどうかの心配ごとでいっぱいなんです。だから、後になって「今日の料理教室では、あの人楽しそうだったな〜」って、思い返すことが多いんです (笑)。もちろん、終わった直後で、みなさんの「楽しかった〜」とか「やった!出来た!」という声が聞こえ始めるその瞬間もたまらなく好きです。
撮影の仕事もやっている最中は余裕はないんですが、終わった後、よかったな、楽しかったなと実感します。あとは後日、facebookに自分の料理教室の様子が投稿されていたり、コメントを見つけたとき!褒められたらやっぱり嬉しいですよね。
それはもちろん嬉しいですね。そんなみづきさんがこれからやってみたいこととはなんですか?
– みづき
5年くらいの間に、本を出したいんです。
素敵ですね!イスラエルに住んでいて、その料理が作れて、写真も撮れる!
– みづき
そうなんです。ちょっと挑戦してみたいですね。
イスラエル以外にアフリカにも住んでいた?
聞けば聞くほど色々なことを経験されているみづきさんですが、他には例えばイスラエル以外にもどこかに住んでいたことはあるんですか?
– みづき
はい (笑)。あとはアフリカのガーナに住んでいました。今は、ガーナのスパイス輸入の仕事もしているんです。これはガーナのボランティア支援というより、きちんとビジネスにしてガーナのおいしいものが世の中に広まってほしい!という思いでやっています。
アフリカ?これまた、珍しい国へ……。きっかけはなんだったんですか?
– みづき
きっかけはfoodex (アジア最大級の食品・飲料専門展示会) に行ったとき、知らないスパイスがいっぱいあるのを知ったことですね。自分ではそれなりにスパイスには詳しいと思っていたんですが、全然知らないものがたくさんあったんです。それで、その夏にたまたま現地でボランティアをしている人にガーナに来ないかと声をかけてもらって、行くことにしたんです (笑)。
本当にフットワークが軽いですね!

– みづき
はい (笑)。それにしても、西アフリカ、ガーナって別世界だと思いましたね。中東に行ったときにもそれを思いましたが、ガーナでもまた思いました。現地入りした当初の目的は、スパイスを日本に輸入してくれる商社を見つけることでした。それで、やっと見つけた商社と商談が成立したのですが、虫や石が入ったものを送ってきたりするので、誰かが現地に常駐していないと話が進まないと思い、住むことに決めたんです (笑)。そのときの滞在先は、ガーナ人の家にホームステイさせてもらっていました。けれどガスも水道も通っていないし、電気は3日に一回停電するようなところでした。でも実は周りのもっと貧しい人たちの家にはトイレもなくて。水もないので、ポリタンクで買うような生活。1年目はそこで過ごして、さすがに2年目はきつくなって、日本人の友人の家に居候させてもらって、農村に行く時は、ガーナ人農家さんの人の家に泊めてもらっていました。

みづきさんは行動力と情熱と勇気にあふれた方ですね。ちなみに、そんなみづきさんが今後KitchHikeでやってみたいことはなんですか?
– みづき
今、自分がCOOKをやっているので、HIKERになりたいです(笑)。首都圏にも外国人のCOOKがいっぱいいるので、会いに行きたいんです。それに今度はタイに行く予定があるのでタイのCOOKを訪ねたいです。外国へ行ったら現地の料理を習いたいけど、そんなに気軽に習えるところってないですよね。だから、すごくいいですね、KitchHike。それに、世界を旅して一番行けないのはキッチンですからね。キッチンは旅で一番行きたくて、行けないところ。
「好き」から出てくるワクワクした気持ちをシェアしたい

そうですね。キッチンはたしかに行きたくてもなかなか行けるところじゃないですよね。まさにKitchHikeはそんなかゆいところに手が届くようなサービスなんです。最後に、なぜ今の仕事に行き着いたと思われるか教えて下さい。
– みづき
私がなぜ食を仕事にしているのか、店で働かないのか。改めて考えてみると、店に所属せずにフリーランスで料理教室、ケータリングや撮影の仕事をしているのはやはり「縁」があったからなんだと思うんです。でもそれに加え、毎日違う場所に行っていろんな人に会うのが好きで、こうゆう旅の性分が抜けないからなのかなと思います。きっと毎日同じところで同じ人と同じことをしていたら飽きてしまうかもしれません。食に関わっていきたいのは、昔はいろいろ自分なりの哲学があって語ったりしていましたけれど、今は単純に「好き」だからです。それで、その「好き」から出てくる自分のワクワクした気持ちをいろいろな人たちとシェアしたいからなんだと思います。

ユング心理学では夜見る「夢」は現実で受け止めきれなかったことを落とし込むために見るものなんだというそうです。私の料理の仕事も同じで、自分の食体験の感動を自分だけで抱えきれず、人においしさも楽しさもその背景にある文化や土地の暮らしを伝えたい、とあふれ出てくるものなのかもしれません。
話せば話すほど、びっくりするような話が次から次へと出てくるみづきさん。食をこよなく愛し、これだと思ったらすぐ動くアクティブな彼女からは、イスラエルやガーナの話もまだまだ出てきそうです。食べるの大好き!作るの大好き!というみなさん、みづきさんのストーリーとともにおいしいイスラエル料理を楽しみに、ぜひ一度参加してみてくださいね。
Information
5/14 (土) に開催の中東料理教室♪
次回も要チェックの「フムス・ファラフェル」♪