【新連載☆第5回】探せ!人生の味のごはん |僕の上司は ミラノ版〝プラダを着た悪魔〟

こんにちは、KitchHike編集部です。

KitchHike Magazine読者にはおなじみの料理人、太田哲雄さんの連載が始まりました!講談社発行の月刊文庫情報誌「IN☆POCKET」との合同企画。毎月1回発行の原稿をKitchHike Magazineでも掲載していくことになりました。

太田さんのインタビュー記事を読んでみよう♪

  1. 世界中で修行を重ねた太田哲雄シェフの映画のような半生!「エル・ブジ」からアマゾン料理まで|インタビュー第4弾[1/3]
  2. 土着的なものの先にこそクリエイティブがある!ミラノのプライベートシェフを経てペルーの砂漠村へ渡る太田哲雄シェフ|インタビュー第4弾[2/3]
  3. ペルー最高峰のレストランから、食材の原種を辿るべくアマゾンへ!料理をめぐる太田哲雄シェフの冒険譚最終章|インタビュー第4弾[3/3]

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ついに「エル・ブジ」を去る日が来た。次に向かうは、ファッション最前線の街ミラノ。「プライベートシェフ」という甘美な響きに魅せられた太田哲雄を待ち受けていたのは、なんと〝プラダを着た悪魔〟だった!?

構成・文/今泉愛子 写真/太田哲雄
イラスト/仲 琴舞貴


「エル・ブジ」での研修最終日は、実にあっけなかった。研修生同士、改まって挨拶をすることもなく、淡々としたもの。ヨーロッパでは、旅立ちの時に水をかけあったり、小麦粉をかけあったりしてエールを送る習慣があるのだが、当然そんな儀式もない。ここでの経験は、「次」へのステップ。研修生全員が、常にそれを意識していたから、感傷的になる暇もないのだろう。

仲間たちの興味は、いかに一流レストラン、有名レストランを渡り歩くかに絞られていた。料理界で「エル・ブジ出身」という経歴は、世間でいうところの「ハーバード大学卒」に近い。そういう意味では、全員が優等生だ。だから、少しでも〝偏差値が高い〟レストランに入ろうとするのかもしれない。

彼らの将来設計で大切なのは、いかに有利なポジションを手に入れるか。その口から、どんな料理を作りたいか、どんな人生にしたいかといったヴィジョンが語られることはほとんどない。イタリアで出会ったマフィアのガウディオみたいに、ハチャメチャだけど大いに人生を楽しむようなタイプの人間もいなかった。研修生の多くは二十代前半の若者たちで、三十歳になったばかりの僕とは、見ている景色が違ったのかもしれない。

【地図】イタリアのミラノ
【地図】イタリアのミラノ

僕が「エル・ブジ」で学んだことはたくさんある。郷土の料理からクリエイティブな料理を生み出す発想力には、大いに刺激を受けたし、機能的な調理場のレイアウトとはどういうものかもよくわかった。世界各国の料理人たちと知り合えたことも大きいし、レストランの経営やブランディングの一端を垣間見ることもできた。

だからより深く、自分はどうしたいのかを考えるようになった。僕は、「エル・ブジ」の料理を模倣しようとは思わなかった。あれは、フェラン・アドリアという天才的なシェフが優秀なスタッフとともに作り上げた料理なのだ。それで完結している。

ところが、研修生の多くはいかにその料理を習得して自分のものにするかを考えていた。〝分子ガストロノミー〟と呼ばれることのある「エル・ブジ」の料理は、科学的な知見をもとに食材に手を加えるのが特徴だ。有名なのは「エスプーマ」で、これは食材を泡状にするもの。例えば、トマトをエスプーマにすると、トマトの風味はそのままでも食感が全く違う。食べる人はそれがトマトだとは気付かないまま口に運び、味わった瞬間に、あれ? と目を丸くする。そんな驚きを提供することで、世界のグルメを魅了した。

エスプーマを作るには、食材に亜酸化窒素ガスを加えて泡にする道具が必要だ。「エル・ブジ」では、こうした分子ガストロノミーに必要な道具類を商品化し、さらにオリジナルの調味料とともに調理キットとして販売していた。大半の卒業生は、これを購入する。卒業後もこの料理を作り続けるために、だ。

僕には、それは単に「エル・ブジ」の呪縛にとらわれてしまうだけのように思えた。スカンピ(手長エビ)にエスプーマにしたソースをのせると、お客さんは「エル・ブジっぽい!」と喜ぶ。だけど果たして、それは、本当に褒め言葉なのだろうか。そんな二番煎じの料理を、クリエイティブと言えるのだろうか。

僕は、自分らしい料理を作りたいと思う。料理を作るからには、自分のオリジナリティを追求したい。それが自分らしい料理であれば、ピザでもいい。ミシュランの星や「世界のベストレストラン50」のランキングにもほとんど興味がない。

こんな僕は、「エル・ブジ」研修生の中ではかなりの異端だ。だから、自分が「エル・ブジ」出身と言われることに抵抗がある。

ミラノ三大わがままマダムって!?

年が明けてすぐ、僕はスペインのロザスを発ち、そのままイタリアに入った。これから僕はミラノの邸宅でプライベートシェフとして働くのだ。一旦、日本に帰ってもよかったが、資金がほとんど底をついていた。

ロザスを発つ前に、僕はミラノに住む友人に連絡をした。「ミラノで働くことになった」と告げると、「着いたら連絡してね。マヌにも伝えておくから」とすごく喜んでくれた。

マヌは、彼のイタリア人の奥さん。格式のある家柄の女性で性格もいい。二人がいる街で暮らせるとは、なんて心強いんだろう。新しい生活への期待が一気に膨らんだ。ところが、その後すぐにマヌから電話がかかってきた。

「テツ、今ちょっと聞いたんだけど、そのマダム、アンドリーナって言わなかった?」

「そうだよ」

電話からマヌのため息が聞こえてきた。

「ああ、テツ、なんてかわいそうな人」

アンドリーナの息子はマヌの元カレで、自宅に何度も遊びに行ったことがあると言う。

「彼女は、ミラノ三大わがままマダムの一人。有名よ」

え、どういうこと? 今ひとつピンとこない。

「これまでの私の人生で、唯一受け入れられない人間がいるとしたら、彼女ね」と深刻な口調で僕に説明するマヌ。どうやら、アンドリーナは誰もが認めるわがままおばさんらしい。だけどもう手遅れだ。来週から、僕は彼女の元で働くのだから。

「何かあったらすぐに連絡してちょうだい。相談にのるから」と言われて、僕は腹をくくった。人生、なるようにしかならない。やれるだけやってみよう。

マダムの邸宅は、ミラノの一等地、ブレラ美術館 (*注1) の近くにあった。コルソ・コモ (*注2) 近くの僕のアパートメントからは車で10分ほど。僕が料理を作るのは、昼食と夕食で、朝食はフルーツやヨーグルトなど食材の準備だけをすればOK。秘書から説明を受けていたら、彼女がやってきた。僕の目をまっすぐに見てひと言。

「常に私を中心に考えなさい」

それだけを告げて去っていく。この家には旦那さんと娘さんもいるのだが、そんなのどうでもいいから、と言わんばかりの口ぶりだ。それは食事だけではなく、彼女の人生そのものを表しているかのように思えた。

マダムの自宅のダイニング。
マダムの自宅のダイニング。

翌日、プライベートシェフ第一日目にして、いきなりマダムが経営するPR会社への出張料理を命じられた。五人分と聞いて準備をして出かけると、秘書は「十人分が必要だ」と言う。いきなり倍に増えて、現場はてんやわんや。波乱の幕開けだ。以降、ゲストの人数にはずっと悩まされることになる。

そして三日目。マダムがヒステリックな叫び声をあげて、僕のいるキッチンに入ってきた。「テツ、どうしてくれるの? 体重が増えてるじゃない!?」

そんなこと知らねえよ、と言いそうになるのを、グッとこらえる。
「ジバンシイのドレス、着られなくなったらどうしてくれるの。いい?私を絶対に太らせないでちょうだい」

言いたいことだけ言うと、勢いよくバンッとドアを閉めて立ち去るマダム。詳しい説明は一切ない。常に彼女は命令を下すだけ。交渉する余地も与えない。その姿はそう、まさに映画でメリル・ストリープが演じた〝プラダを着た悪魔〟だった。

彼女の食事は、前菜とメイン、それとデザートの三皿構成。にんにくとバターは一切使わないこと。肉もパスタも出さない。デザートには砂糖を使わない。そのルールはきちんと守っていた。その上、体重にまで責任を負うなんて。

彼女は、人の話を聞かないという点では徹底していた。バンッとドアを開けてツカツカツカとやってきて、言いたいことだけ言って去っていく。食事の人数は、こちらから何度確認しても正確な数字は出てこない。本人に把握する気がないのだろう。秘書はいつも泣いている。

突然、会食の人数が増えるだけではない。外で会食が入ることがあっても連絡はない。こちらは用意をして待っているのに、帰ってこないこともちょくちょくあった。

邸宅には、ダイニングルームが三つある。食事をする人数によって、使う部屋が異なるのだ。どの部屋も立派な調度品が並び、天井にはシャンデリア。カトラリーはシルバーで、召使が手袋をつけてセッティングする。スタッフは、父親の代からこの家に仕えるイラリオ、それから住み込みで家のあらゆる雑用を引き受ける夫婦と、洗濯やアイロンがけを担当するパートタイムのおばさんが二人。イラリオは、運転手兼執事で、主に旦那さんの世話をしていた。

僕はマダムの細かい好みを彼女の表情から探った。メニューを聞いた時、あるいは料理を食べる時のちょっとした眉の動きを見逃さない。そうしないと後で面倒なことになるからだ。
「夜は、青魚を使って……」マダムの眉がピクッ。「……と思ったんですけど、いいホタテを手に入れたんで、それを使いましょう」まさに上司のご機嫌を窺う部下だった。

青魚が好みでないことはすぐに理解した。イタリア人だがアンチョビもダメ。白身であまり脂っこくないものが好きらしい。骨はもちろん皮や血合いも丁寧に取り除く。調理法は蒸すか煮るか。こんなに制限があると、味はどうしても単調になる。

そこで僕は、こっそりとにんにくを使うことにした。要は、マダムが気付かなければいいのだ。料理をする時は、しっかりと換気扇を回し、低温で風味を出したらにんにくを取り除く。ゴミ箱に捨てるのにも細心の注意を払った。

余談だが、最近、僕の料理を食べた中華のシェフから、「太田さんの料理は、にんにくの使い方が独特ですね」と言われた。中華料理は、にんにくの香りをしっかり効かせることが多い。ところがそのシェフは、僕の料理を食べてから、にんにくの香りを抑えめにしたら、「軽くて食べやすい」と喜ばれたのだとか。自分なりに工夫したやり方なので、それを聞いた僕もとても嬉しかった。

ポルチーニなど旬の食材が入った時は、料理する前にこのようにプレゼンする。
ポルチーニなど旬の食材が入った時は、料理する前にこのようにプレゼンする。
鯛、オマールエビ、小イカ。ミラノでは高い魚介類だが、惜しげもなく使う。
鯛、オマールエビ、小イカ。ミラノでは高い魚介類だが、惜しげもなく使う。

ミラノに〝カミカゼ〟が吹いた?

マダムは、魚も、野菜やフルーツも、最高のものを用意しないと不機嫌になる。だから、市場へは毎日のように足を運んだ。おまけに突然「○○が食べたいわ」と言われることもある。僕はあの辺りで、すぐに有名人になった。買い物かごを持って毎日必死の形相で走り回る東洋人の男は、傍から見ても異様だったのかもしれない。

そんな毎日だったから、キッチンのドアがバンッと開くと、僕の体は反射的に硬くなる。

「美味しかったわ」

またバンッ。褒め言葉も甘くささやいたりしないのが、マダムの流儀だ。

ようやくひと月を過ぎた頃だっただろうか。マダムの秘書が血相を変えて僕のところにやってきた。「話がある」と言われたが、怒られるようなことをした覚えはない。

マダムの会社の役員たちが待ち受ける会議室に入り、席に着くと、いきなり請求書を突きつけられた。僕がプライベートシェフに就任して以来、食費がなんと一万七千ユーロを超えたと言う。日本円にすると二百万円くらい。凍りつくような空気のなか、秘書のマルタがボソッとこうつぶやいた。

「ジャパニーズ・カミカゼ……」

そもそも事前に、予算を伝えられていたわけではない。最高級の食材を用意しないとご機嫌斜めになるし、大勢のお客さんをもてなすことも多い。僕がズルをしているわけでないことは先方も承知していたから、セップクは免れたが、以降は、マダムの特別ルールと体重に加え、予算にも配慮して作るようになった。

とはいえ、厳密な意味で僕の雇い主は、旦那さんのマリオ。彼は貴族の出身で、一度も働いたことがない。ミラノにたくさんの不動産を所有し、その所得で暮らしている。僕の給料や食材費も彼の懐から出ていたはずだ。

生粋のミラネーゼのマリオは、カツレツやトリッパの煮込みが食べられれば満足。訪ねてくる友達もほとんどいない。

連日連夜、オフィスや自宅で食事会を開催するマダムとは対照的だ。しかもマダムは、特別な予定のない日も、近所に住む友人たちを招いてカードゲームに興じる。もちろん夕食だって振る舞う。上質な食材を使ってプロの料理人が作った料理だから、相手にとっては実にいい遊び相手だろう。

ところがある時、ついにマリオがキレた。

「なんで、こんなに毎日毎日、人が来るんだ!家族で夕食を食べればいいじゃないか」

ごもっとも、と言いたいところだが、僕にそんな権限はない。

「あなた、なんてひどいことを言うの?そんなにいけないことかしら」

マダムは泣いて自室にこもり、マリオは、イラリオを連れて、スイスの別荘に出かけてしまった。その日マダムは、泣きながら友達に電話をして延々と愚痴っていた。

「あの人と食事をしたって、お通夜みたいなものよ。お金があるんだから使えばいいじゃないの。テツという料理人がいて、使用人もいる。パーティをしない方がおかしい。あの人はどうしてわかってくれないの……」わかっていないのはマダムの方だと僕は思った。マリオだって湯水のようにお金が湧いてくるわけではない。この頃、イタリアでは税制が変わって、富裕層への取り立ても厳しくなっていたのだ。

ころころ変わる予定に翻弄され、おまけに家族はギスギス。そんなストレスフルな日々にさらに追い打ちをかけたのが泥棒だ。

ミラノ暮らしにちょうど慣れてきた頃だった。帰ってくると、家のドアがない。取り替え中? 何かの工事? あまりにありえない光景に頭がうまく回らないまま中に入ると、部屋が荒らされている。パソコンと数百ユーロが消えていたが、僕の部屋よりも、一緒に住んでいたレンツォの部屋の方がどう見ても派手に荒らされている。

電話をかけて知らせると、レンツォは悲鳴をあげた。アルゼンチン出身の彼は、マダムの会社の雑用係。マダムから提供されたこの部屋で、妻と子どもとともに暮らしていたのだが、近々ここを出て新しい部屋を借りることになっていた。

その頭金としてまとまったお金を銀行から下ろしてきたばかりだったと言う。翌日には支払いに行く、まさにその間の何時間かを狙った犯行だった。警察によれば、泥棒たちは、あらゆるところから情報収集しているらしい。レンツォが大金を部屋に置いていることもお見通しだったのかもしれない。

レンツォの引っ越し資金は、アパートメントの住民たちのカンパでなんとかまかなえたが、マダムは最後まで知らんぷりだった。

往々にして、主人は使用人に対して冷たい。いや、冷たいと感じるのは、僕が階級のない日本の出身だからかもしれない。彼らは互いに立場が違うことをはっきりとわきまえている。旦那さんやマダムのことは、決してファーストネームでは呼んだりしない。それは僕も見習った。旦那さんは、「シニョーレ」で、マダムは「シニョーラ」。ただしこの家の旦那さんは「シニョーレ」ではなく「ドットーレ」と呼ばせていた。博士や教授、医師など、博識で権威のある人は敬意を表してこう呼ぶ。

仕事の合間に、ドゥオモ近くにある「ラデュレ」でマカロンを買い食い。
仕事の合間に、ドゥオモ近くにある「ラデュレ」でマカロンを買い食い。
マダムの所で残った伊勢エビは、我が家の晩御飯に。
マダムの所で残った伊勢エビは、我が家の晩御飯に。

料理も決して同じものを食べてはならない。旦那さんやマダムに作った料理が余ったからといって、使用人に分けてはならないのだ。僕は捨てるのがもったいなくてこっそり分けたりしていたけれど、彼らからすると絶対に許せない行為だろう。

ただし彼らが、貧しい人たちに仕事を与えることを義務のように認識しているから、社会が成り立っているという面もある。

出会って二週間で結婚を決める

僕が結婚したのは、このミラノ時代だ。夏に休暇で日本に帰国し、その時、妻と知り合った。滞在期間はわずか二週間だったが、その間に結婚を決め、妻は僕がイタリアに戻ってから、一人で長野まで僕の両親に会いに行った。翌年の一月に婚姻届けを出し、ミラノでの二人暮しが始まった。それまでは、「いつ辞めてもいい」と思っていたが、そういうわけにもいかなくなった。もともと思いつきで辞めるようなタイプではないが、それでも、これまで以上にしっかりと計画した方がいいだろう。

ところが、僕は最後までマダムのペースに巻き込まれっぱなしだった。

マダムは、自らをミラネーゼだと言う。僕が作ったスープに対してケチをつける時には、「ミラネーゼの私に対して、このミネストローネはいかがなもの?」というように。だけど、昔から彼女を知る人は、彼女が南のプーリア州 (*注3) 出身だと教えてくれた。きっと自らの力で這い上がってきた人なのだろう。

プラダを着た悪魔は、常に貪欲だ。どんなに満たされても決して満足することはない。

マダムとの別れの日が近づいていた。次は、南米と決めていたが、僕はピザ屋で働くことになる。続きは、次回に。


プロフィール: 太田哲雄(おおた・てつお)

1980年長野県生まれ。19歳で渡伊。帰国後、料理人を志して都内のイタリアンレストランで修業。2004年に再び渡伊。星付きレストラン数店を経て、スペインやペルー、そしてアマゾンの奥地まで、料理人として世界を渡り歩く。

注❶ レラ美術館 ルネッサンスを代表する絵画作品を数多く所蔵する美術館。街の中心部にあり、スカラ座やスフォルツェスコ城、ドゥオモからも近い。

注❷ コルソ・コモ ミラノ・ポルタ・ガリバルディ駅からガリバルディ門に続く通りで、おしゃれなカフェやセレクトショップなどが立ち並ぶ。

注❸ プーリア州 ブーツの形をしたイタリアのかかとの部分にあたる南の州。日本ではあまり知られていないが、実は美食の地で、オリーブオイルやワインの国内有数の生産地としても知られる。

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