【新連載☆第3回】探せ!人生の味のごはん |マフィアの大物は、 ウェディングケーキがお好き

こんにちは、KitchHike編集部です。

KitchHike Magazine読者にはおなじみの料理人、太田哲雄さんの連載が始まりました!講談社発行の月刊文庫情報誌「IN☆POCKET」との合同企画。毎月1回発行の原稿をKitchHike Magazineでも掲載していくことになりました。

太田さんのインタビュー記事を読んでみよう♪

  1. 世界中で修行を重ねた太田哲雄シェフの映画のような半生!「エル・ブジ」からアマゾン料理まで|インタビュー第4弾[1/3]
  2. 土着的なものの先にこそクリエイティブがある!ミラノのプライベートシェフを経てペルーの砂漠村へ渡る太田哲雄シェフ|インタビュー第4弾[2/3]
  3. ペルー最高峰のレストランから、食材の原種を辿るべくアマゾンへ!料理をめぐる太田哲雄シェフの冒険譚最終章|インタビュー第4弾[3/3]

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イタリアのピエモンテ州にある一ツ星レストラン「ラ・フェルマータ」で働き始めてすぐ、デザートシェフに就任した太田哲雄。そこで出会ったのは、なんとマフィアの大物!?
そしていよいよ、スペインの「エル・ブジ」へと向かった!

構成・文/今泉愛子 写真/太田哲雄
イラスト/仲 琴舞貴


「ラ・フェルマータ」の調理場で、僕は黙々と卵の殻を掃除していた。卵の殻を器にしたプリンが大好評で、レストランに来ているお客さんから、自分たちのパーティでぜひ出したい、と百個もの注文が入ったのだ。

このプリンは、デザートシェフに就任して早々に、考えついたもの。ピエモンテ州には、イタリアの焼菓子アマレッティとココアを使うボネと呼ばれる郷土菓子がある。チョコレートプリンのようなボネを嫌いな人は、ほとんどいない。あれをイメージしたプリンを卵の殻に入れて出したらどうだろう。僕は早速、試作に取り掛かった。

イタリアでは、フランスのようにしっかりと焼いたお菓子は今ひとつ人気がない。やはり食べものの好みは地域によって大きく異なるのだ。日本で人気のお菓子を持ち帰っても思ったほど喜ばれないことがある。ちなみに一番喜ばれるのは、ヨックモックの「シガール」。優しい焼き具合と歯ざわりがイタリア人の心をとらえるようだ。

スペインMAP

店でデザートを作る時も、彼らの好みを常に探った。心がけたのは、甘さを控えめにすること。当時すでにイタリアでも甘すぎるデザートを敬遠する人たちが増えていたから、このプリンも、グラニュー糖ではなく粉糖を使って軽い仕上がりにした。卵の殻の掃除はちょっと手間だけど、このプレゼンテーションはきっとウケる。

試作品を、マダムやホール担当の女性たちに差し出すと、みんなあっという間に平らげて、「これはイケるよ!」と興奮気味。メニューに載せると、レストランでもたちまち人気が出て、常連さんから、五十個、百個単位の注文が来るように。僕の狙い以上の展開だった。

地元のグルメたちの間で「卵プリンのTETSU」と呼ばれるようになった頃、店に、一人の男がやってきた。

「TETSUのウェディングケーキが食べたい」

丸々と太った中年のおっさんが、ウェディングケーキ?

「ラ・フェルマータ」は、週末にウェディングパーティが入ることも多かった。僕が作るウェディングケーキは、日本風のふわふわのスポンジケーキに生クリームとフレッシュなフルーツをたっぷりのせたもので、プリン同様、大好評だった。彼はその噂を聞きつけてわざわざ食べに来たというわけだ。

「いいですけど、すごく大きいですよ?」

そんなことで動じるような男ではない。

フルコースの食事の最後に、テーブルいっぱいのウェディングケーキを出した。脇目も振らずに男は、食べる、食べる、食べる。頃合いを見計らって、僕は彼の前に出て行った。

「いかがでしたか」

「悪いな。もうムリだ」

お皿の上には、ほんの一切れ、残っているだけ。以来、彼はちょくちょく店に来てくれるようになった。

彼の名前は、ガウディオ。表向きの仕事は、自動車販売。安く仕入れた車を、東欧に売りさばいていると言う。トレードマークは、機関車トーマスがプリントされたリュック。トイレに立つ時は、パンパンに膨れ上がったそのリュックを、必ず僕に預ける。それにしても重いよな。何が入ってるんだろう?

ある時、不審そうにしている僕に気付いたガウディオは、「開けてみろ」と目で合図。ゆっくりファスナーを開くと、「待ってました」とばかりに、札束がポンッと飛び出した!

「クレジットカードが作れないもんでな」

とガウディオ。だからって、こんな大量の現金を持ち歩くなよ……。ていうか、今なんて言った?クレジットカードが作れない?なんかヤバイことしてるんじゃないの⁇もしかして、この男、マフィアなの?

だけど目の前の彼は、食べることが大好きな中年男で、料理やレストランの話を始めたら止まらない。僕たちは、急速に親しくなった。

その頃、僕は日本で取った国際運転免許証が期限切れになり、車の運転ができなかった。ガウディオに話すと、翌日、電話がかかってきた。

「運転免許センターに行ってこい。話はつけた」

話をつけた?行ってみると、担当者がニコニコしながら手を差し出した。訳がわからないまま彼の手を握り返した僕は「TETSUです」と言うだけで、イタリアの運転免許証を手にすることができた。いいのか?

彼のネットワークは、どこまでも広がっていく。会話のなかに「ベルにこう言ってやったんだよ」なんて言葉がサラッと出てくる。あやうく聞き流しそうになったけれど、ベルというのは、どうやら当時の首相ベルルスコーニのことらしい。
そうかと思えば、イタリア中の有名レストランを食べ歩く。トスカーナ州にあった「ガンベロ・ロッソ」(*注1) の話になった時のことだ。

ガウディオも常連だった、「ラ・フェルマータ」時代のお気に入りの店。
ガウディオも常連だった、「ラ・フェルマータ」時代のお気に入りの店。
三ツ星の「カン・ファベス」で。生意気盛りの頃。
三ツ星の「カン・ファベス」で。生意気盛りの頃。

僕は、以前から、この店に行きたいと思っていた。エミリア=ロマーニャ州の「ラ・フラスカ」時代の同僚がこの店で働いたことがあったのだ。

ミシュラン二ツ星のこの店のシェフは、とにかく、いつもキレまくっていて、お皿が飛んでくるわ、気にくわない料理はその場でゴミ箱に捨てるわ、「いつ胃に穴が開いてもおかしくなかった」と彼。

だけど料理は、抜群にいい。店の内装にほとんどお金をかけてないから、三ツ星に昇格するのは難しかったが、ヨーロッパ中からお金持ちが、どんどんやってくる。店は連日満席で、予約もなかなか取れない。

しかも当時は、日本人禁制。以前、何かやらかした日本人がいたそうで、シェフが

「もう二度と日本人にうちの敷居はまたがせない」と断言しているという。客としても研修生としてもダメ。いくら楽天的な僕でも、さすがにそれはムリかな、と諦めかけていた。

その話をガウディオにしたら、軽い調子で「オレ、この夏、十日間昼、夜ぶっ続けで予約取ってるから、連れてってやろうか?」と誘ってくれる。

十日間!!どうしてそんなことが可能なのかと目を丸くした僕。

「初めて行った時にメニューに載っている料理を全皿食べたからね」

涼しい顔をして言うガウディオ。

ひとりで全皿食べた!?そこまでしたら、さすがに変わり者のシェフだって挨拶くらいしにくるだろう。しかもガウディオは、クレジットカードを持っていないから、全額をキャッシュでポンと払う。きっとチップも弾んだに違いない。やっぱり変人に対抗できるのは、変人なのだ。

だけど、おかげで僕も連れて行ってもらえたのは、実に幸運だった。

料理は、これまで食べたどんな料理とも違っていた。調理法はシンプルなのに、口に入れると、素材の圧倒的な力強さを感じる。やっぱりイタリアの食は奥深いとしみじみしながら食べた。

ガウディオのおかげで、僕のイタリア暮らしはどんどん快適になった。ビザの問題も交通事故を起こした時も、ガウディオが解決してくれた。礼を言うと、いつも「オマエは、オレに美味しいものを食べさせてくれればいいんだ」と笑っていた。

スペインとの出会い

「ラ・フェルマータ」に来て、三年を過ぎたくらいからだろうか。僕は、次第に焦りを感じるようになってきた。デザートシェフとしては、プリン以来、キャラメルポップコーンや、オレンジの皮を使ったオランジェット (*注2)など、いくつもの人気メニューを出し、店にもそれなりに貢献していた。

料理を作る仕事もしたくて、個人で出張料理を始めたのもこの頃だ。自分の連絡先を書いた名刺を作って店に置いてもらい、自分からも積極的にアピールした。地元の名士や企業からの依頼が入るようになり、手応えを感じてはいたけれど、やっぱり、店というフィールドでしかできないことも多い。

もっと上を目指したかった僕は、店が二ツ星を獲得するためには、もっとこうしたほうがいい、とあらゆる提案をした。だけど、シェフたちは乗り気じゃない。そもそもイタリア人は、変化を好まない。自分たちの伝統に誇りを持っているから、新しいことを取り入れるのにも消極的だ。

当時の僕には、それが一ツ星という現状に甘んじているようにしか見えなかった。やるからには世界のトップを目指さなきゃ。二十代の生意気盛りの僕は、本気で憤っていた。

そんな時に休暇で、スペインを訪れた。バルセロナのあるカタルーニャ地方を中心にまわったのだが、そこには、イタリアとはまったく違う空気が流れている。

同じラテン系でも、イタリア人やフランス人はナイーブなところがあるが、スペイン人は、もっとカラッとしていて付き合いやすい。いればいるほど、この地が僕を呼んでいるような気がしてくる。

決定的だったのは、一軒のレストラン。カタルーニャ地方にある三ツ星の「カン・ファベス」(*注3) だ。この店のクラシックな料理からは、スペインの魅力が深いところから伝わってくる。
イタリアに戻るなり、僕は親しい人たちに「スペインに行く」と宣言した。だけど、ツテがない。どうしたものかと思って、親しくしていた日本人の料理人に相談したら、なんと「『エル・ブジ』なら紹介できる」と言う。

当時、世界の料理界には、「エル・ブジ」旋風が吹き荒れていた。カタルーニャの田舎町・ロザスにありながら、世界中から予約の電話が殺到し、一ヵ月分がわずか三十分で埋まってしまう「世界一予約が取りにくいレストラン」。それまでの概念を破る大胆な調理法は、分子ガストロノミーと呼ばれ、ふわふわの泡状になったスープや、口の中でパチパチと弾ける料理は、好奇心旺盛なグルメたちのハートを鷲づかみにしていた。

「エル・ブジ」のフェラン・アドリアと。
「エル・ブジ」のフェラン・アドリアと。

僕はすぐに履歴書を用意した。「エル・ブジ」が募集しているのは研修生。ビザと宿舎は店が用意するが、無給というのが条件だった。

採用はすんなり決まった。研修期間は、二〇一〇年の後半から、二〇一一年にかけての半年。シェフのフェラン・アドリアは、すでに二〇一一年七月での閉店を発表していた。

僕は、「ラ・フェルマータ」のシェフに辞めることを伝え、すぐに準備を開始。「チャンスだな」と温かく見送ってくれたガウディオには、またいつか僕の作る料理を食べてもらいたいと思っている。

そして「エル・ブジ」へ

「エル・ブジ」の調理場のドアは、朝の九時ちょうどに開く。五分早く来ても中には入れないし、五分遅刻すると、もうドアは固く閉じられている。「新人は、三十分早く来て掃除をしろ」とは言われないし、残業もなし。ブラックではないが、そこには別の厳しさがあった。

朝一番で、その日の作業が指示されると、あとは脇目も振らず黙々とこなす。シェフから「牛乳とってきて」と言われると、駆け足で冷蔵庫へ。チンタラしていると、すぐに怒声を浴びる。

効率を第一に考えた調理場のレイアウト。喉がかわいても氷ひとつもらえない徹底した食材管理法。そして無給でもいいから働きたいと志願する熱心な研修生たち。客席数五十に対して、研修生も五十人いる。

なんてよく考えられたシステムなんだろう。だから、あの恐ろしく手の込んだ、三十皿以上もの料理で構成された、デギュスタシオンコースが可能なのだ。

僕は、それまでずっと、世界の料理界をイタリア中心に考えていた。なんといっても、フランス料理の原型となった料理だ。調理法は、長い歴史に裏打ちされ、知れば知るほど奥深い。

「エル・ブジ」の朝、着替えを済ませて扉が開くのを待つ。
「エル・ブジ」の朝、着替えを済ませて扉が開くのを待つ。

だけどここに来て、自分の視野がいかに狭かったかを思い知らされた。世界中から集まってきた研修生たちのなかには、「イタリア料理ってどんな料理なの?」と真顔で聞いてくる人もいる。

「世界のベストレストラン50」で、二〇〇六年から四年連続首位をとった「エル・ブジ」こそ、今、世界の料理界の中心に存在しているのだ。

「フェラン・アドリアさんって、どんな人?」

スペインの片田舎にある「エル・ブジ」を世界のトップに押し上げたスターシェフのことを聞かれると、僕はいつも少し戸惑う。リーダーシップを発揮して、スタッフをぐいぐい引っ張っていくタイプではない。かといって、調理場でキレる姿も見たことがない。話す時は、こちらの目を見ずにボソボソと声を出す。率直に言えば、地味な人。

僕が初めて会った時、彼のコックコートの胸には「LAVAZZA」と刺繡されていた。イタリアで誰もが知っている、コーヒーブランドの名前だ。きっと、そこからもらったのだろう。でも、世界一がそれを着て、調理場に立っていていいのか?

運転している車もオンボロで、自宅もとても質素。イタリアのレストランでは、オーナーの奥さんや家族がくると、フルコースでもてなしたが、フェランの奥さんは、僕たちの賄い料理の残りを自分でレンジで温めて食べていた。

そんな日常から、あの独創的な料理は生まれてくる。

「エル・ブジ」のことを大げさに讃える人もいれば、皮肉る人、けなす人もいるけれど、フェランがやっていることをどれくらい知っているのだろうと思うこともある。

奇抜に見える料理のベースは、カタルーニャ地方の料理。僕がイタリアで出会ったシェフたちと同様に、彼にもカタルーニャ人としての強烈な自負がある。

店の経営陣である、彼の弟と、フェラン以外の三人のシェフも、全員がカタルーニャ人。調理場の共通言語もスペイン語ではなく、カタルーニャ語。あの店は、彼の生まれ故郷にしっかりと根ざしているのだ。

しかしレストランの一日の営業収支は、いつも赤字。食材にお金をかけすぎているからだ。料理学校の経営や講習会の開催で、収入を得る。一年のうち半年営業して、半年をメニュー開発にあてるのも、赤字をそれ以上増やさないための工夫なのかもしれない。

あんなスタイル、誰も真似できない。わざわざやりたいとは思わないだろう。それをやるからスゴいのだ。

僕は、日本に帰国してからずっと、自分の経歴のなかに「エル・ブジ」の名前を出すことにためらいがあった。わずか半年しかいなかったし、カタルーニャ料理についても勉強不足で、「エル・ブジ」の料理を理解していると胸を張って言えないからだ。

だけどあの半年は、最高に刺激的だった。次回は、その日々について、さらに詳しくお話ししようと思う。


プロフィール: 太田哲雄(おおた・てつお)

1980年長野県生まれ。19歳で渡伊。帰国後、料理人を志して都内のイタリアンレストランで修業。2004年に再び渡伊。星付きレストラン数店を経て、スペインやペルー、そしてアマゾンの奥地まで、料理人として世界を渡り歩く。

注❶ トスカーナ州のサン・ヴィンチェンツォにあった伝説的なレストランで、ミシュラン二ツ星。「世界のベストレストラン50」でも、当時イタリアのレストランでは最高位の十二位にランクイン。シェフは、フルビオ・ピエランゲリーニ。二〇〇八年に閉店。

注❷ 砂糖漬けにしたオレンジの皮(ピール)にチョコレートコーティングしたフランス菓子。

注❸ スペイン・カタルーニャ地方のサンセローニにあったレストランで、カタルーニャ地方のレストランで初めて三ツ星を獲得。シェフは、サンティ・サンタマリア。二〇一三年に閉店。

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